共犯 / Partners in Crime ~つながりの糸

by - 11/26/2015


2014年の台湾映画。登校途中、同じ学校の女子生徒の死体を3人の男子生徒が偶然発見した。3人はお互いに面識はなかったが彼女の死の謎を探るために協力することに……っていうあらすじで、ジョゼフ・ゴードン=レヴィット主演の『BRICK ブリック』(2005)みたいな話かなと思ったら違った。

3人の男子生徒はわかりやすくそれぞれ違うタイプ。ホアン・リーファイ(ウー・チエンホー)はいじめられていて、学校で孤立している。イエ・イーカイ(チェン・カイユアン)は先生に目をつけられている問題児で、スケートパークやネットカフェで時間をつぶす不良生徒。リン・ヨンチュン(トン・ユィカイ)は眼鏡をかけた秀才で、男女問わず友だちが多く放課後はファストフード店で勉強会をしたりしてる優等生。

この3人は死亡現場を目撃したということで、学校のカウンセリングを受けさせられる。そこで先生(やる気ない)が「死んだらどうなると思う?そこで終わり。死んだら何もなくなって、遺族が悲しむだけ」のようなことを言う。これが、この話の言いたいことのひとつなのかなと思った。あと、若手俳優(多くが新人)の瑞々しさ、白い制服、緑の木々と水、夜の黒と液晶画面の青白い光とネオンのピンクみたいな映像がすごくきれいでよかったし、俳優たちみんな顔がよくて(肌もきれい!)、その子たちを美しくかわいく撮ろうって感じがしたのもありがたかった。


この映画を観た同じ日に、これを読んでいた。
「秋葉原事件」加藤智大被告が「黒子のバスケ」脅迫事件に見解表明!(篠田博之) - 個人 - Yahoo!ニュース
そこで出てきた「つながりの糸」という言葉が思い出された。

孤立が苦痛だがBすれば苦痛から解放されるのであり、苦痛から逃れられる手段になり得る行動Bは、自殺だけではありません。最も根本的な対応をするなら、孤立が苦痛でも、孤立を解消すれば苦痛から解放されます。
では、孤立を解消するにはどうしたらいいのでしょうか。無理矢理に社会との接点を作ればいいのです。渡邊氏の言葉では「つながりの糸を仮設する」ということです。


学校で孤立し、孤独だったホアン・リーファイは、「つながりの糸」をこの出来事で得た。この糸をどうしても切らしたくないために行動する。彼の必死さは相当なものだったのだろう。それは、家族を突き放すほどだったよう。妹(サニー・ホン)は同じ学校だったけど、いじめられている兄と話しているところを見られると自分もいじめられるかもしれないから、学校では他人の振りをしていた(それがどちらの案かはわからない)。母親は自営のクリーニング店の壁に子どもたちの写真をたくさん貼るくらいかわいがっていたようだし、妹も兄を心配していた。でも、「つながりの糸」は家の中じゃなくて、社会に張らなければ意味がないとホアン・リーファイは考えたのかもしれない。

亡くなったシャー・ウェイチャオ(ヤオ・アイニン)は、「つながりの糸」を諦めてしまっていた。母子家庭でキャリアウーマンの母親との間に溝ができ、家庭で孤独を感じていたシャー・ウェイチャオは、お金持ちとか美人とかで目に付き、クラスメートともうまくいっていなかった。だから彼女は全部を手放すことにした。だけど、クラスでも地味な生徒チュウ・チンイー(ウェン・チェンリン)は、そんな風に突っぱねる彼女にも分け隔てなく接してきた。シャー・ウェイチャオはそれが不思議だったからなのか、嬉しかったからなのか、彼女に「つながりの糸」への道筋を残した。


でも、糸がつながってるだけではだめ。生きているからこそ、そのつながりが意味のあるものになる。いろいろ迷って悩んで失敗もして、でも生きているからそういうことができる。死んでしまったら終わりなんだと思った。残された者が悲しむだけ。死んだ者はそれを知ることができない。

あと、孤独のためにつながりの糸を必死で求めて犯罪にまでなってしまうということでは『クロニクル』を思い出した。

不良くんはCOMME des FUCKDOWのTシャツにKTZのバックパック

共犯 [DVD]
共犯 [DVD]
posted with amazlet at 17.01.18
マクザム (2016-01-08)
売り上げランキング: 55,030

You May Also Like

0 comments