Bullying / 学校の悪魔 ~いじめによる最悪の結果を防ぐには
スペインの2009年の映画。最後に、「いじめはヨーロッパで○%起きている。最も多いのはイギリスで○%。スペインは○%(細かい数字は忘れた)」ってテロップが出るので、これはいじめをなくすことを目的に作られたのかなと思った。その割には、例として学校の対応が悪いし、いじめをなくすためにはどうすればいいのか方法が示されていないと感じたし、暗い重い気持ちになるエンディングだった。
学校の対応がよくないと思ったところ。このクラスにいじめがあるなら報告して欲しいといって、生徒数名を呼び出して尋問(他の人がいる前で告げ口みたいなことができるわけない。こういうのはやるなら個別にしたほうがいい)。しかも、校長と担任の意見が噛み合ってない。「何でもいいから気になることを言ってごらん」と言った後に、「でも、もし違ったら大変よ」って脅しのように言う。校長は、息子のことでやってきた母親に対しても、「ヒステリックになってるだけ」とか「母親なのに気付かなかったの?」とか対応が酷すぎ。いじめのグループを、被害者の母親と関係者が同席する場所に呼び出して、「いじめていたの?」と尋問(これも個別にしたほうがいいはず)。1人がいじめを認めたら、「わかった」と原因究明や対策をすることもなく、即停学にする(退学だったかも?)。
いじめの直接的な加害者を排除することが、問題解決につながるかというのは、その場においてはいいのかもしれないけど、根本的な問題解決にはなってないと思ってしまう。この映画の場合も、リーダー格の男の子は家庭に問題を抱えていて、そこに介入して彼を救うことができたなら、未来の被害者が減ったのかもしれない。
また、いじめは加害者と被害者だけでなく、その他大勢の傍観者がいる。彼らを良い方へ変えられたら、被害者が減るのではないかと思う。そうならば観たときはそう思わなかったけど、最後の加害者がいない教室で「これからは良くやっていこう」と先生が説く場面は意味があるのかもしれない。
被害者の少年側の問題としては、父親を亡くし精神的に参っている母親を心配させたくないという優しい気持ちが大きすぎて、悩みを相談できなかったのが悔やまれる。同じ悩みを抱えた同年代の子とインターネットを通じて仲良くなるってのはよかった。学校以外にも居場所をつくることが必要。
母親は、子どもが大丈夫って言っていても、様子がおかしいことに気付いたらもっと徹底的に向き合ってみないといけない。自分自身忙しくしていて、余裕がないというのも仕方がないことだけど、そのときに向き合わなかったことで最悪の結果になったら悔やんでも悔やみきれないと思うから。家出や怪我は普通の事態じゃない。「どうしたの?」「何があったの?」って問い詰めるだけじゃなくて、「君が大事だよ」「愛しているよ」って気持ちが通じるようにできたらと思った。
あと、近所の怪しい男は助けになるのかと思ったら、邪魔しているし、何だったんだよって感じだった。でも、これも同年代以外の人の付き合いや、親以外に近所に子どものことを気にかけてくれる人がいるっていうことの良さを表していたのかな。
気持ちが落ち込む映画だけど、いじめによる最悪の結果を防ぐにはどうすればよいのかを考えるきっかけになる。
オンリー・ハーツ (2011-08-05)
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